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下から。 今、おっちゃんとさようならして帰ってきてパソコンに向かってこれを書いている。
おっちゃんにあらかじめ電話して今日を迎えた。
おっちゃんは65歳で隠居生活。人生の恩師でもある。
10時に待ち合わせして、広い公園に。おっちゃん曰く、家よりも外の風がずっとか涼しいんだと。
公園の人気のない日陰の場所で座って、自分の悩みをまずは話した。なぜ、おっちゃんを呼んだのか。
おっちゃんは、私の話をずっと聞いてくれるんな。
私が話して一息ついたら、口を開く。逆になる。おっちゃんの言葉を私が受け取る過程に映る。
叱ることも怒ることも馬鹿にすることも立てることもせず、”私”の話に口を開いてくれる。
ある程度経ってから、喉がかわいたって笑って自販機でジュース買って。
草原が見える日陰のベンチに場所を移して、次の話題に。
彼のこと友のこと人のこと。
草がなびいて、木が生えて、鳥が鳴いて、池の水面漂う中で。
でも、その景色は作られたものであって不自然なのだとおっちゃんと私は思ってた。わかってた。
草には虫がいなくなって、木は綺麗に立ちすぎて。
人も、こんな景色に似ていると。その景色は人が作ったんだろうけど。
また少し話してお腹すいたって。お互い時計を見なかったから。時計要らんかった。
ただ、ベンチに並んで座ってクーラーより涼しい風に吹かれながら話してたかった。
一度お昼買いに公園を出て、再び戻る。次の席は池がすぐ見える日陰のベンチ。
お茶飲んで、パン食べてまた話す。まったりして、私もおっちゃんもサンダルから素足を外した。
目線合わすことなく、池の水面を見て楽な座り方をして。
「人」をメインに話してた。
内的刺激より外的刺激ばかりに囚われる人がほとんどだって。
外的の耳があっても、内的の耳は失われてしまっていると。
私は、少数派の人間で理解されるのは時間を要する人で難しいと。おっちゃんもそうだけれど。
足の指に蟻が乗る。そんなの構わなかった。傷だって構わなかった。
おっちゃんが言ってた。同じ年齢でこんな会話出来る人間がいなかったって。お前みたいのがいなかったと。
そうしたら、昔が変わっていたかもしれんと。遠い目をしてた。あれは、過去見てた。
年を取れば誰もが経験豊富なんて、そんなの嘘っぱちだって。
どちらかが約50年、遅く早く産まれていればもっと話が出来ていただろうかと笑いあった。
「聴く」人が希少な今になっていると。内的の耳を澄ます人が減っているって。
2人、一致する考えがあって、「私変かもしれないけど、こう思うんだけどさぁ、」ってたどたどしく言葉にして
行き着く先が同じで声出して笑ってた。何回も。「そうそう!なるなる!」って。
ベンチに足載せて開放な場所で(他にほぼ人がいない。)。
「そうなんさなぁ」とおっちゃんも笑う。
雀がひょこひょこ歩いてる。
昔の傷も今じゃ引き出しに大事にしまってある。
今日話したいこと話し合って、帰ろうと歩いた。さっき約50年遅く早く産まれていればとか思ったけど、
65歳のおっちゃんと私だから、今こうして考えを言い合えるんだろうと思った。
それもまた、ご縁。
別れて時計をみたら15時。いつのまにか5時間経ってた。
それが、今日のお話。
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